ホモ牛乳

下品なことを言う係です

この時代に生まれて良かった。もっと過去ならタッチパネルは無かったし、もっと未来ならタッチパネルは無くなっているかもしれない。今、この瞬間、タッチパネルがある時代に生まれてこれたことを、僥倖といわずなんという! 

 


数週間の休館を経て、図書館は生まれ変わっていた。ICタグシステムを導入、つまり機械でピピピとすれば本が借りれて、複数冊同時に処理できるから時間は短縮、人件費も抑えられ、なるべく人との接触は拒みたい閉鎖的少年少女も利用でき、そして何より素晴らしいのは、機械の操作がタッチパネルだということだ。 


小説二冊と読むかどうかも怪しいニッコロ・マキャヴェリ君主論を持って貸出機の前へ行くと、二台ある貸出機にはどちらも先客がいたので、適当に後ろに並んだ。そこでふと、別に他意はなく、何となしに前の人が操作してる画面というか指が見えてしまったものだから、俺はもう君主論を落としてしまうくらい衝撃を受け、しかもそれを拾わずに、ただただその指に釘付けになるという状態だった。 

 


美しい──。 

 


タッチパネルを操作する指はしなやかに優しく、けれど決して弱すぎず、噛まれるかもしれないと思いながらも子犬に触れようとするかの様な一寸の疑念を孕み、初めて尋ねる家のチャイムを鳴らす時の様な緊張と、けれど相手が必ず反応することを確信したうえでの力強さが均衡し、その指と画面との触れ合いは思春期のファーストキスのように甘く、老成したアイコンタクトのように見事だった。 


完璧なものなんてこの世にないだって? なら、目の前の指はなんなんだ! 


かくして猛アタックの末、彼女と付き合うことになった俺がタッチパネルを賛美するのも当然なわけだ。 

 


もちろん指だけを好きなわけじゃない。彼女は気立ても良いし、顔もカワイイ。 
けれどやっぱり、一番惹かれるのはその指の動きだった。 


彼女は両利きで、字を書くときと箸を持つときは右手、それ以外は大抵左手、といった具合だった。さらにはピアノを習っていて、あの美しい指が美しい旋律まで奏でるというのだから、目にも耳にも幸福の大安売りといった感じで、その美しい指が自分の平凡な指と絡まることは幸福を通り越して罪なのではないかとさえ思った。 


特に美しいのは左手の人差し指だった。 
タッチパネルを操作していた、あの指だ。 


右手も美しい。他の指だって美しい。けれど、左手の人差し指は別格だった。 
両利きとはいえ両手の筋肉は均等ではない。彼女の指は絶妙なバランスが織りなす奇跡の産物だ。 
爪があとすこし長ければ、腕毛の処理を怠ってしまったら、ほんの少し何かが違えば、あの完璧な指は崩れてしまうのではないか。けれど彼女はピアノのために爪は伸ばさず、美のために腕毛の処理は欠かさなかった。ずっとずっと、美しいままでいられる。はずだった。 


多重の奇跡は起こらない。奇跡の指を保ち続けるという奇跡は! 


彼女は不慮の事故で左手の小指を切断することになった。 
バランスを失った左手は、以前のような、俺を虜にしたあの動きを見せることは二度となかった。 


もちろん指だけを好きなわけじゃない。彼女は気立ても良いし、顔もカワイイ。 
けれどやっぱり、一番惹かれるのはその指の動きだった。その、指の動きだったんだ! 


目的の場所を左手人差し指でさして「アレだ」と言う彼女が! 
待ち合わせに遅れたとき、左手人差し指を俺の頬に当てて「遅いよ」と力いっぱい振り切った彼女が! 
初めてキスをしようとしたとき、俺の唇に左手人差し指を当てて「まだ早いよ」と照れるように言った彼女が! 
そんな彼女が好きだった。そしてそのどれにも、彼女の指は欠かせなかった。 


小指を失くし以前のように大好きなピアノも弾けない彼女の失意は計り知れない。俺は自分に言い聞かせるかのように彼女を慰めた。けれど失意の底にいる二人はお互いに表面上は明るく振る舞っているものの、心の中は過去で溢れている。同時に指折り数えても、彼女の方が早く数え終えてしまう現実が痛かった。そんなアンバランスな状態で噛み合うはずもなく、奏でた不協和音はそのまま終曲となってしまった。 

 

 


あれから4年。彼女と再会したのはタッチパネルの前だった。 
駅の券売機で適当に並んだところ、前が彼女だった。 
声はかけなかったので、彼女が俺に気づくことはなかった。 


髪は長くなり、幾分かふくよかになり、左手の小指は失われたままで、左手の薬指には指輪をはめ、カバンにはマタニティマークがついていた。 


後ろから彼女の指を見つめる。 
もう完璧ではないとはいえ、その指はやはり美しく、俺の心を揺さぶった。 
同時に過去も揺さぶられた。 
俺はきっと、彼女が指を失わなかったとしても、結婚することは出来なかっただろう。 
奇跡を崩す因子を、薬指にはめたりなど出来なかっただろう。 


彼女はこの後、席を譲られたりするのだろうか。 
あの美しい指を備えた手で、大きなおなかをなでたりするのだろうか。 
奇跡は遺伝子として、受け継がれたりするのだろうか。 


俺は切符を買うのをやめ、五駅の道のりを歩いて帰ることにした。 
月は少し欠けていたけれど、その輝きは鈍ることなく夜の街を照らしていた。

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